表裏一体

親戚が集まり、祖母を中心に他愛もない話をしていると、
ふと、母はどこに行ったのだろう、と辺りを見回し母の姿を探す。
「あれ?お母さんどこにいったの?」そう言おうとした瞬間、
はっと、何故ここにみんなが集まっているかを思い出す。
途方も無い悲しみに見舞われ、目の前がじわりとぼやけてきた。

誤解を恐れずに言えば、死は恐れるものではないと思っている。実に身近なもので誰しもが到達する人生の最終地点であり、むしろ絶妙なバランスで今こうして息ができていることのほうが奇跡のようなものだと。

だからこそ目を背けずに、どう生きるか?を一生懸命考えて行動したほうが良いのだと思う。
煮え切らないまま、人生が終わることのほうが恐い。
もう、そのチャンスはやって来ないかもしれない。だからいつだって全力で生きて「今日も一日よく頑張った!幸せ!」と言って眠りにつき、そのまま終わる。そんな最期が理想だと思っている。

一度失血して気を失いかけたことがある。
血が流れ出ていくごとに、何やらうとうとしてきて、いや、駄目だ!起きよう…。でも、気持ちよくなってきて、もういいや、寝ちゃおっかな。zzz。…しばらくして叩き起こされて目が覚めた。
最期のときは意外と睡眠の延長みたいなもので、自分の気持ち次第で踏みとどまれるし、もういいやと思ったらあっちに行けるんじゃないかと思った。ずっと眠ったままと考えると本人にとってはそんなに特別なものではないかもしれない?

とはいうものの、自分は良くても身近な人が居なくなるのはこれほど悲しく、寂しいものかと。

いくら悲しんでも、涙を流しても、帰ってこないのに、不思議なものだ。

死んだらどうなるか?
人生最大の謎であり、必ず解ける答えでありながら、誰も答えを知らない。
もし、あの世があるのならば、(無いと思ってるけど)あの後こんな事があったんだよ。とたくさんの土産話を持っていけるようこれからも一生懸命頑張って生きていく。

人生は道中どれだけ多くの経験ができるか?そんな旅路のようなものだと思っている。良いことも悪いことも。
そうだ、どんとこい。全部自分の財産にしてやるんだ。

ありがとう、母。
お疲れ様でした。