正常性バイアス

人間の心は、予期せぬ出来事に対して、ある程度「鈍感」にできている。日々の生活の中で生じる予期せぬ変化や新しい事象に、心が過剰に反応して疲弊しないために必要なはたらきで、ある程度の限界までは、正常の範囲として処理する心のメカニズムが備わっていると考えられる。-Wikipediaより。

特に大きな地震が来たときなど、大丈夫大丈夫大したことない。と慌てないそぶりをすることがよくある。
自分の場合もそうだったが、これを知ってからビビりながらも冷静に安全な範囲で行動することにしている。特に建物が歪んで扉が開かなくなることがあるので、とにかく脱出経路を確保するために、扉を開く行動を取っている。もちろん飛び出すのは危険なのでそんなことはしない。

さて今の自分は平静を保っていると考えているが、実際のところはよく眠れないだとか影響が出ている。夜、寝ているところにもしもの話が来たらどうしよう。朝起きて、今日はどんなことが起きるのだろうか?と考えてしまうのもつらいところだ。

三途の川を渡ろうとしている母を呼び戻す任務にあたっていると思うことはいろいろある。人というものは絶妙なバランスで生きているのだと。当たり前のように呼吸をして、腹が減るのは、実はすごいことなんだと。

この見守り時間を活用しようと、何かをしようものなら、油断をするとすぐにあっちに行こうとするので気が抜けない。

じーっと集中しているので、他に何もできない。でも思考をする時間はあるのでいろいろ考える。

そのままではパンクするのでできるときにどんどんアウトプットしている。こんな商売をしているので、タイピング速度は話をするよりも早い。

 

何かを発信することで、誰かの心に響けば良いといつも願っている。
それが楽しくなる、ハッピーであることが一番だけど、時には考えさせる。人生の肥やしになるような話題も大事なんじゃないかと思っている。
一人として全く同じ状況の人はいないのだから、万人に価値のある行動をするのは難しい。
そう、それは難しいことなのだ。

でもきっと万人にとってどうでもよい話題でも、特定の誰かの役には立つのではないかと思っている。
一人でも良い。むしろそっちのほうが価値があると思う。

だから、私は発信する。