嵐の夜に。

西日本に甚大な被害をもたらした台風が接近した日、がんで闘病生活を続ける母の容態が急変したと報せを受け、仕事を放り投げてがんセンターに車を飛ばした。
もう2年以上闘病生活を続けていたものの、良くなることが無く、日に日に弱っていく母の姿を見る度に胸がえぐられるような思いをしていたのだが、ついにこの日が来てしまったと足が震える。
病室に駆け込むと心拍数の異常を知らせるアラームがけたたましく鳴っている。
看護師さんにご家族は揃いましたか?とますます持って最期を予感させるようなことを聞かれる。もうだめなのか、ゴォゴォと息苦しそうにしている母の姿に涙が止まらなくなる。どれだけ涙を流したことだろうか。

心拍数は150〜160台という、負荷のかかる運動をしているような状態が数時間も続いてる、既に食事もできず点滴だけの身体には想像を絶する負担だろう。呼吸が困難な状態なので人工呼吸器で濃度の高い酸素を送りこむ。それでも時々呼吸が止まりそうになるのを声をかけて呼び戻す。

そんな家族の願いが奇跡を起こしたのか、一時は三途の川を渡りかけた母は夜には徐々に安定した数値を取り戻すようになってきた。

しかしまだ、時々呼吸をするのを忘れそうになるのか、ふと呼吸が止まるので父はつきっきりで声をかけ呼び戻すことをしている。家にも帰らず、まともに寝れない環境なので、私は仕事を早めに切り上げて、数時間だが付き添いを担当することにしている。

わずか数時間の担当とは言え、既に意識も朦朧として意思の疎通は難しくどうみても「生きている」のではなく、「生かされている」状態の母と二人っきりで、その姿に向き合うのは、まるで自分の内臓に鉛が詰め込まれていくかのごとく、重く苦しい感覚に見舞われる。

母は時折ゆっくり目を開けて虚空を見つめる。その目線の先に私が映っているはずなのに応答はない。その姿に悲しみがさらに増す。病気が病気なだけに、これから良くなる見込みが見えないので、ひたすら辛い時間を過ごすことになる。

母は時折震える手で呼吸器に手を添える。
マスクの位置が気に食わないのか。貼りついた感覚が気持ち悪いのか、喉が苦しいのか。
それとも…、「もういい」という意味なのだろうか。

「生きる」ということはなんなのか?
家族としては一日でも長く生きて欲しいが、もし、自分がその立場だったら今すぐ楽にしてくれと切に願うだろう。
最早、自分の力で生きることができなければ、それは生きているとは言えないと残念なことだが、私は思う。

母の意向は私は知らない。
そんな話を父としたのかは知らないし、そんなことはとても聞けない。

ただ、もし仮に私と同じ意向だったとして、じゃあ一週間後におしまいですね。さよならですね。と言われて家族は納得できるだろうか?はい、わかりました。と言えるだろうか。

言えないだろうな。
自分の知らないところで勝手にやられるならまだしも、自分が決断することはできないだろう。

最期の最期まで命を搾り取るようなことが、母にとって幸せなのだろうか?疑問に思うこともあるが、もう流れに身を任せるしかない。

医学の進歩は素晴らしいもので、一昔前までは難しい事例だったものも救われるようになった。
これは本当に素晴らしいことだと思う。
しかし、過渡期であるが故に生まれる苦しみもまたあるのだと、痛切に感じた。

一体これがいつまで続くのか。
そしてこの山を越えた先にもあるものが「何か」も分かっているだけに、気が重い。

それでもそれが遺されるものの宿命なのだろう。
私はそれを受け入れ、受け止める。

※こういう話題のシェアは個人的にはあまり意に添わないのですが、いろいろお誘いをお断りしたり、予定を無理に変えていただいたり、皆様には既にご迷惑をおかけしてるので告知させて頂きました。