湾岸幕張 PA パーキングエリア 上り トイレ付近に犬が繋がれていた。

なぜ、島田紳助は人の心をつかむのがうまいのか?~内藤 誼人(著)にて興味深い内容が書かれていた。

人の心をつかめる人は、人だけではなく生きとし生けるものに対して愛がある。と。

こんなエピソードを交えて書かれていた。

 

飼っている犬の器を洗い終わった子供に、
母は「その器でお前は水が飲めるのか?」と訪ねた。

子供は「汚いから飲めない」と答えた。

それを聞いた母は「犬は汚いと言えないのだから、ちゃんと気を遣ってやらないといけない」と諭した。

 

子どもの頃、飼っていた犬の食器を雑に洗っていた自分に重なる。正直すまんかった。

これは私の意訳も含まれているが
弱い立場や物を言えぬ立場の人(に限らず)の気持ちになって気配り、配慮ができることの重要性を説いた内容に、ほほうと感心した。

 

そんな話に感動したものだから、
横浜の道を歩けば、ハクビシンのような野生動物が建物のひさしの上をひょいひょいと飛び回り、
車を運転すれば、目の前をたぬきが横切り、
地元に戻れば、歩道を猫が我が物顔で闊歩し、
家に帰れば、愛犬のハワポン氏が「撫でてもええんやで?」と腹を見せる。

ははぁ、試されているなぁ。と気がついたところで、
はっと思い出す。

 

その日商談のため東京への道中立ち寄った
湾岸幕張 PA パーキングエリア 上りにて

トイレ付近に犬が繋がれていたのを目撃した。
私も犬を連れて旅に出かけることがあるので、パーキングエリアに犬がいることは珍しくないのだが、何か違和感を感じた。

そうだ、飼い主がいない。
トイレ中のお留守番かな?

でもなかなか飼い主が帰ってこない。
心無しか懇願するような目でわんちゃんはこちらを見ている。

 

ついつい良くないことを想像してしまう。

なぜなら、私の実家のあたりは、まぁどうしようもない田舎なもので、田舎者なら喜んで飼ってくれるだろうという偏見からか、近所の公園にホイホイ身寄りのないわんこやにゃんこが置き去りにされていた。
そういった子たちを小学生の頃からたくさん見てきた。

 

おい、一体命を何だと思っているんだ?

 

実家にはこれまで5匹ほどのわんにゃんが家族の仲間入りを果たし
にゃんこに関しては、御年20歳(推定)の今も年相応ではあるものの、元気に過ごしている。

このように救われる命がある場合もあるが、
そうじゃない場合だってあって、
誰かが悲しい思いをしたり、苦労や負担をしている。

結局パーキングエリアにいたわんちゃんには何もできず、
自分の力の無さにひたすら悔しい思いをするしかなかった。

あくまで私の悲観的な発想なので、実際のところはよくわからないが
日陰とは言え、クソ暑い炎天下の中、犬を置き去りにするのは褒められたものではない。

せめて近くにホワイトボードを置いて、
5分で戻るとか
連絡先とか書いておいておくれ。

犬は話すことができないのだから。

どうか、昼食タイムだけのお留守番であったことを祈っている。